完乗間近、落ち穂拾い


2003年5月30日〜7月12日


鉄道の乗りつぶしで、完全踏破に近づいた時点で、全線乗車しておらず、一部区間の未乗線区を乗りに行くことを、
落穂拾いと表現している。

 私としても、未乗線区や自分自身として気になる路線を乗車することとした。
 
万葉線 越ノ潟−高岡駅前 12.8キロ 2002年4月1日加越能鉄道より譲受
乗車日 2003年5月30日  越ノ潟 16:14  高岡駅前 16:55
万葉線(株)が加越能鉄道より譲受により営業開始、加越能鉄道では乗車済だが今回乗車することに
7053 この渡船の区間もかつては線路が繋がっていた 車内からいただく
富山駅より富山県営渡船堀岡発着場まで、タクシーで移動、無料の渡船で越の潟へ
越ノ潟から、乗車。乗客は私と女子高生の2名、残念ながらその後の乗客もまばらであった。
鉄道区間から軌道区間へと、変化に富んでいる。庄川を渡る時はすばらしい。六渡寺の木材の匂いも記憶に残る。
加越能鉄道は、国や自治体からの補助によりその存続を図ってきたが。平成10年2月に高岡市・新湊市に鉄道・軌道事業の廃止・バス代替を申し入れた。平成13年4月に富山県、高岡市、新湊市等が出資する第三セクター「万葉線株式会社」を設立し、加越能鉄道より鉄道・軌道事業を譲受して路線を存続。

北陸鉄道浅野川線 金沢−七ツ屋 2001年3月28日地下区間に
乗車日 2003年5月30日  金沢 18:32  上諸江 18:35
2001年3月28日金沢−七ツ屋が地下化、北鉄金沢駅が70メートル延伸
北鉄金沢−七ツ屋△0.1キロ 七ツ屋−上諸江+0.1キロ の改キロ で開業とされてないが乗車しておく
浅野川線は、地下化の約10日前の2001年3月16日、乗車済
北鉄金沢駅 撮影は翌31日
まだまだ、真新しい北鉄金沢駅から、乗車。発車後すぐに七ツ屋駅へ。地下化に伴いこの駅も移動しているため、次の上諸江まで乗車した。
北鉄金沢−七ツ屋間の約700mで、うち約280mが地下、約290mが掘割区間。北鉄金沢駅は北陸地方初の地下駅

東海道本線 大垣−(新垂井)−関ヶ原
乗車日 2003年6月13日  名古屋 9:14  米原 10:11
この区間は、下り特急しか走らない。日中に乗車したことがないので、今回、しらさぎ号に乗車
名古屋から、米原まで乗車。自然の中を走る
大垣から関ヶ原へ、垂井経由とは別の、勾配迂回のため施設された新垂井経由の下り線は、現在は下り特急のみ経由している。なお、新垂井駅は、1986年10月31日に廃止。

北神急行電鉄 新神戸−谷上 7.5キロ 2002年4月1日 鉄道施設を譲渡
乗車日 2003年6月13日  三宮 17:50  谷上 18:00
北神急行電鉄が、第1種鉄道事業者から第2種鉄道事業者へ。第3種鉄道事業者は、神戸高速鉄道に。
もちろん、第1種鉄道事業者の時に乗車済
トンネル内に絵が、復路の谷上発車内で撮影
神戸市営地下鉄三宮駅から乗車し、地下を走り新神戸。ここから、北神急行となる。そのまま、トンネルとなり、六甲山地を貫く。約10分で地上に出、谷上駅。
北神急行は、多額の債務を抱え鉄道事業の維持が危機的に。上下分離方式により、鉄道を存続させる方針により、神戸高速が、第3種鉄道事業者として鉄道施設を保有し、北神急行が第2種鉄道事業者として運営することとした。

広島電鉄 (旧)−(新)広島港駅 0.2キロ 2002年3月29日 改キロ
乗車日 2003年7月12日  広島駅 13:13  広島港(宇品) 13:41
元宇品口−広島港(宇品) 0.2キロ延伸(改キロ) 終点駅の改キロなので乗車しておく。
立派になった広島港電停
広島駅から、5号線に乗車し(810)広島港へ。広島電鉄に乗るのは、2000年11月の5000形グリーンムーバのローレル賞授賞式以来である。
広島港の新ターミナルビルが、旧ターミナルの西側200mに新設された。これに伴い、広電宇品港電停も西に220m延伸され、ホームも3本に増えた。

広島電鉄 (新)横川駅 移設 0キロ 2003年3月28日 横川駅電停移設
乗車日 2003年7月12日  十日市町 14:37  横川駅 14:43
広島電鉄横川駅が、JR駅前へ移設。開業、改キロとはならなかったが乗車しておく。
横川駅電停
十日市町から8号線に乗車、横川駅に到着。
乗り換えの改善を図るため、国道54号線に島状に敷設されている電停をJR横川駅前広場に移設。