東北地方(五能線・花輪線ほか) 乗りつぶし


2002年5月30日〜6月1日

( )は、乗車車両の車号です

 **2002年5月30日(金)**  晴れ

上野 21:41発 あけぼの号  東能代 7:52着

 今回の乗りつぶしは、東北地方の乗り残している路線を片付けに行く事である。

五能線(東能代−五所川原) 119.5キロ
花輪線(大館−十和田南) 29.2キロ
釜石線(花巻−新花巻) 6.4キロ
大船渡線(盛−気仙沼) 43.7キロ
気仙沼−一ノ関も未乗だが、今回は乗車しない
気仙沼線(気仙沼−前谷地)  72.8キロ

 9日前に寝台券を購入。B個室のソロが空いていた。
当日、あけぼの号発車1時間前、これから新宿駅から上野駅へと向かう。ところが、代々木で火災があったとかで、山手線と総武線緩行が運行してない。大江戸線で上野へと思ったが、中央線快速は運転してるとの事でホームに上がる。(中央線も代々木を通るのだが)。とにかく、新宿を発つ。
 快速東京行は、総武線緩行が動いてないにもかかわらず、以外に空いている。
御茶ノ水駅で、総武線緩行が停車していたが、すぐには発車しないとの事で、神田まで向かう。神田は、山手線不通の影響を受け混雑。一本見送り、次の京浜東北線北行に乗り込む。車内は大混雑。次の秋葉原で旅行かばんを何とか網棚にのせ、何とか上野着。
 
あけぼの号は、上野を定刻で発車(オハネ24 551)。早速床に就く。
私の、乗りつぶしは、日中とし、眠らない事と決めているため、明日、朝から、4時間近く五能線に揺られる事を思うと必死で寝ておかなければならない。しかし、私は、寝つきが悪く。寝台車となると益々眠れないのだが。



 **2002年5月31日(金)**  曇り
東能代 7:57発 2523D  11:44着 五所川原
津軽五所川原 12:25発  13:00着 津軽中里 13:05発  津軽五所川原 13:37着
五所川原 14:16発   弘前 15:04着

 翌朝、6時起床。寝台車で、朝まで起きずに眠れたのは久しぶりである。
あけぼの号は、遅れず東能代着。向側で待っている列車に無事乗換。これから、五能線の旅が始まる。
車内は、高校生で一杯である。が、次の能代でほとんどが下車。ボックスシートに移動する。(キハ48 520)
 東八森を過ぎると、少しの間であるが左手に海が見えてくる。列車が進むにつれ、遠くに見える海も時折近づき、岩にぶつかる波しぶきを見せてくれる。深浦から千畳敷までは、間近に海を見ることができる。

深浦駅に停車中の5323D 千畳敷駅付近の車窓 走れメロス号(津軽鉄道)
 
 途中、眠る事無く、五所川原で下車。津軽鉄道に乗り換える。昨年3月18日 エバーグリーン賞授賞式の際、津軽鉄道には乗車したのだが、その時は、正に雪景色であったため、今回再乗車する。雪景色との違いを感じながら一往復する。(104)
 五所川原から、五能線に乗車。車窓からはりんごの木も見受けられる。そして列車は弘前着。


弘前 16:12発 かもしか6号  16:46着 大館 17:20発 1940D  盛岡 20:25着  盛岡泊

 弘前で食事をし、大館へ向かう。
平成6年の小坂精錬の旅客運輸廃止の際、花輪線の盛岡から十和田南まで乗車し、そこからタクシーで小坂駅へと向かったため、大館−十和田南が未乗区間として残っている。 
 大館を発車し、40分程で、十和田南へ到着となり乗りつぶし終了。この駅で進行方向が反対になる。
 やがて、辺りも暗くなり、列車は盛岡着。(キハ52 155)

ホテルメトロポリタン盛岡 NEW WING 宿泊。 ホテルのTVで、FIFAワールドカップ フランスVSセネガルを見て、就寝。


 **2002年6月1日(土)**  晴れ

盛岡 8:47発 陸中1号 11:02着 釜石 11:18発 212D  盛 12:04着 

  急行陸中号の3号車(キハ110-3)に乗車。現在では、急行列車は非常に珍しい。3号車は、指定席のため乗客は4名である。
盛岡を出発し、軽快に走っている。紫波中央を過ぎると、それまで左に続いていた新幹線が左へと別れていく。
 花巻で、3号車は2名となる。ここから、新花巻までの乗りつぶしが始まる。
花巻を発車すると、すぐに東北本線と分かれる。車窓からは水田も見られる。似内を過ぎ、北上川を渡ると、東北新幹線が見えてくる。そして、新花巻着。乗りつぶし終了。
 ここで、車内の半数が埋まる。が、遠野でほとんどが下車。列車は山の中を走り、足ケ瀬を過ぎた辺りから、いくつものトンネルをくぐる。右下に線路が見え、ループ。陸中大橋で列車交換のため停車。小佐野を過ぎると民家も多く、そして、終点釜石着
 急行 陸中号
 釜石からは、三陸鉄道北リアス線で盛へ向かう。(36-110)残念ながら途中ほとんど海は見えない。
盛で、大船渡線の発車まで時間があるので、岩手開発鉄道盛駅を訪ねてみることにした。岩手開発鉄道は、10年前の3月に旅客営業を廃止。現在は、貨物輸送のみを行っている。

 記憶をたよりに、三陸鉄道盛駅から右へ歩いていく、商店には、サッカー日本代表 小笠原選手を応援する貼り紙が。数分歩くと踏切が、見え、岩手開発鉄道の盛駅が。
 駅の写真を撮っていると、駅前の家の住人が、ここは珍しいから(私の)写真を撮ってあげようか。と話しかけてきたが、自分の写真はいらないのでお断りした。
三陸鉄道北リアス線 岩手開発鉄道盛駅

盛 13:28発 快速スーパードラゴン  14:27着 気仙沼 14:33発 2942D  小牛田 16:40着
小牛田 16:42発  17:29着 仙台 17:54発 やまびこ22号  大宮 19:08着 

 JR大船渡線一ノ関行に乗車(キハ100-42)。盛を出発する。左手の三陸鉄道の線路が離れていき、そして海が垣間見える。次の下船渡では海が一気に近づく。が、細浦を過ぎると海とは離れ、小友では、水田の中を進む。ほぼ、満席だった車内も、陸中高田で、ほとんどが降りた。
 陸前矢作を過ぎ、山中を走る。鹿折唐桑からは、民家も多くなり気仙沼着。

 この先、一ノ関までも未乗であるが、気仙沼で、気仙沼線小牛田行に乗り換える。(キハ48 1513) 気仙沼−一ノ関を乗車のため、近いうちに、またここに来ることになる。
 気仙沼を出発し、大谷海岸では車窓に海が広がる。その後、いくつものトンネルをくぐり、また時折、海が見え、列車は南へと進む。
そして、列車は、内陸へと進んで行き、家も多くなる。陸前豊里で列車交換。そこからは、広々とした水田が広がる。その後、左から線路が近づき、前谷地16:21着。終点小牛田には、2分遅れの16:40に到着。16:40発の仙台行に乗るため弧線橋を渡る。14分後にも仙台行があるのに、接続をとってくれたため無事乗換終了。(クモハ701-1022)
 仙台から、やまびこ号(E225-1401)で帰路についた。

小牛田行(左)  一ノ関行(右) キハ48 1513 車内